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2018年1月21日 (日)

やっぱり甲子園は特別/佐々木正雄

 5万人の大観衆の熱気を帯びた1966年夏の甲子園。初出場で松山商(愛媛)との準々決勝に進んだ横浜一商(現・横浜商大)のエース佐々木正雄(69)は、敗戦の瞬間をベンチで迎えた。逆転勝利を信じた最終回。2-4の9回2死2塁、主将・6番井上泰司のバットが空を切ると、ひと筋の涙が頬を伝わった。

 佐々木 自分に対して「お前よく頑張ったよ」って思った瞬間、涙が流れたね。2回にドラフト1位で広島に進んだ西本和明に弾丸ライナーの本塁打を打たれて、打球を目で追ったんだよ、追い込んで得意のドロップで三振に打ち取ろうと思ったけれど痛快に打たれちゃってさ。
 やっぱり甲子園は特別だったよね。あのころできたばかりの新幹線に乗ると大阪に着くのが早すぎて気持ちが追い付かない開会式の入場では両足がしびれたね。何もない所から、急に未来に来てしまったような戸惑い。強豪校ばかり整列しててさ。

 気迫を前面に直球とドロップで準々決勝までの4試合で33イニング無失点。準決勝では守備の乱れから2失点したが、3連覇を目指す武相を決勝で完封した。

 佐々木 一商の校長で後に商大の監督を俺に託してくれた故・松本武雄先生からは開幕前、「安んじて事を託される人となれ」と言われたんだ。だから「俺がこけたら、みんなこけちゃう」という気持ちだったね。
決勝では「打てるもんなら打ってみい」ってね。マウンドに向かうときも冷静。「かっかしたら駄目だぞ」って自分に言い聞かせて向かったよ。とにかく勝つために腕を振って、気付いたら武相を倒して「勝っちゃった。優勝しちゃったのか」と身震いするような感じ。涙がぶわぁtあふれてね。

 そんな豪腕はエリート街道から遠い道を歩んだ。中学には野球部がなかった。

 佐々木 だから自己流よ。法政二の柴田に憧れてピッチャーなりたいなって。でも二高は学費が高くてさ。武相、横浜も強かったけれど絶対に行くもんかって「一商に入って強豪を倒すんだ」って下克上の気持ちだったね。だけど野球部入ると何もかも分からないんだ。グラブをまたいだりすると「道具を大切にできないやつは野球をやるな」って先輩からぶっとばされて。全部自己流でやってきたからさ。初めて扱う硬式球も怖くてね。

 2年になると夢見ていた投手へと転向。秋からは背番号1をつけた。

 佐々木 投手になってからは毎日ボールを握りながら寝たよ。朝起きると、不思議としっかり握っているんだ。試合前日になると誰もいない平和球場に行き、頼み込んで中へ入れてもらった。やっぱり風情があったね。レフトにかまぼこ兵舎があり、市電の線路を挟み市庁舎が見える。歴史的な場所。だから「ここで投げ勝たないといけないんだな」って思いふけながら自分の投球をイメージしたんんだ。俺ってロマンチストなんだよなぁ。
 一商時代は捕手のヨネ(米山賢一)に支えられたよ。劣勢になると「こんなんでお前帰れるの。けんかばかり勝って野球では勝つ気ないの」って言われてさ。大蔵明監督の存在が大きくて、勇気を与えてくれたね。緻密で理論的な野球を学ばせてくれたよ。短いながら凝縮した質の高い練習。守備を徹底し、最少失点で勝つ。責任を果たそうと思ったね。

 日大時代に日大明誠(山梨)の学生監督として指導者のキャリアをスタート。この半世紀、野球と真摯に向き合ってきた。

 佐々木 もし野球がなかったらおかしな人間になっていたかもって県野球協議会の藤木幸夫会長に言われてさ。けんかばかりの悪ガキだった自分に今があるのは、組織での行動や人間関係を野球で学べたから。
 今、いろんなチームを見て思うのは私学、公立が一緒に切磋琢磨できる環境が必要だよね。強豪になってうまい選手が集まるのではなくて、入学制度から見直してもっと競争を促せるとレベルも上がるはず。戦術や技術の知識の共有も広げられるよね。神奈川全体のレベルを引き上げるにはそれくらいの改革が必要だよ。
 神奈川では、家庭、学校、地域と三位一体で球児を応援してくれる。こんなにも球児に期待してくれる地域なかなかない。マウンドや打席立ったときに必ず熱い声援が背中を押してくれるんだよ。必死に野球に打ち込んで欲しいよね。

星野さんの遺志継いで

 佐々木さんは、4日に急逝したプロ野球楽天の球団副会長・星野仙一さんと、神戸・芦屋の自宅に招かれるなど深い付き合いを続けてきた。「燃える男」と語り合い、思い描いてきたのは、野球人気を復興するためのプロ・アマ新時代だ。
 佐々木さんは昨年11月に開かれた星野さんの「野球殿堂入りを祝う会で、幹事役として尽力した。新年には県野球協議会の藤木幸夫会長主催で横浜で新年会を開く予定あった。それだけに、突然の訃報に「なんで?なんでなの」と悔しがる。
 星野さんや藤木会長と温めてきた野球復興プランは①ちびっ子たちの底辺拡大②社会人・大学・高校野球のアマ3団体の一本化-が2本柱。「星野さんは『プロに特権意識があってはいけない。自分たちも通ってきたアマの道にもっと思いを』おっしゃっていた。アマを一本化することで、自分たちもプロ側に問い掛けていくことが出来るようになる」と佐々木さん。まずは全国の社会人、大学、高校の監督を中心にした「小委員会」の設立を目指す。
 大きな後ろ盾だった星野さんが亡くなり、佐々木さんは「正直なところゴールは見えない」と本音を漏らす。しかし「それでも、やらなきゃいけないという気持ちが出てきている」。
 垣根を越えた新たなプロ・アマ時代を目指し、野球界の仲間に声をかけ続けるつもりだ。
 星野さんの遺志を継いで-。

ささき・まさお 横浜一商(横浜商大)-日大-日大明誠監督(山梨)-横浜商大監督。疎開先の群馬県邑楽郡で生まれ、横浜市で育つ。神奈川大学野球リーグの横浜商大で監督を務め、今年で34年目。6度のリーグ優勝に導き、岩貞祐太投手(阪神)らを輩出。2008年から4年間、全日本大学野球連盟監督会会長を歴任するなど、プロ・アマを問わず幅広い人脈を持ち球界全体の発展に尽力する。69歳。

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